親父、主として親父の死に触れたエントリーをまとめてみました。

2006年02月01日

目が覚めてしまったけれど

真夜中に目が覚めてしまった。けれどこれまでみたいに何かをブログに書き込もうという気分がしない。

これはやっぱり親父が死んでしまった事が影響しているのかな?

ブログへの書き込みラッシュが始まった1月上旬ってのは親父がまったくものを食べられなくなってしまった、反応が鈍くなった頃と一致している。

また冬眠してしまうかもしれないけれど、許してね。

Posted by nobis at 02:42
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2006年01月31日

やっと終わった

やっと終わった。

寝つけぬ、途中で頭痛まで起きるような、夜を乗り越え、寝過ごし気味の朝を跳ね起きて、告別式、火葬、骨拾い。一連の事をやった。成し遂げたとはとても言えない。とにかく終わった。

葬儀場を親父の愛した車で出るとき“のーびす”は大きな思いっきり明るい声を出して「ありがとうねー」と車誘導の人々、葬儀社の人にお礼を叫んだ。取り澄ました「ありがとうございました」じゃなくって。それが祭事をサポートしてくれた人たちへの“のーびす”なりの感謝の気持ち。危うく「愛してるよー」といいそうになったがそこは思いとどまった。

家に戻るとニャンコのお出迎え。きつい花のにおいがするのかウロウロしている。“のーびす”は堅苦しい背広を脱ぎ捨ていつものトレーナー姿になる。あぐらに飛び乗るニャンコ。いつもと違う匂いがするのか、左腕を舌でザリザリとなめてくれる。まさか慰めてくれている訳じゃないよね。

親父の死体は灰になって骨壷に収まっている。親父は位牌というアイコンになってそれの意味を知る者にその存在の記憶を呼び起こすだろう。“のーびす”もしばらくは手を合わせたりするのだろうか?

Posted by nobis at 18:55
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2006年01月30日

ここまで根性無しになっていたとは

今日は通夜だった。朝起きて、納棺、式典まではよかった。

母親と2人きりになって遅れてくる人を待っていたらどうしょうもなくなってきた。

今夜、一人っきりでこの式場に泊るなどと言う無理をして大丈夫だろうか?

体調を崩したりしないだろうか?

そう思うとどうしょうもなくなってきた。

帰りたい。

家に帰りたい。

薬を全部持ってきているのにもかかわらず、

設備は全部そろっているのにもかかわらず、

家に帰りたくて仕方がなくなってきた。

式場の人が「9時までは居られた方がいいです」と言っていたにもかかわらず、

8時半で退散してきてしまった。

ここまで根性無しになっていたとは思わなかった。

今、いろんな思いが頭の中を駆け巡っている。

Posted by nobis at 21:10
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ああ気が重い

親父が死んで一夜明けて、今日は電話の嵐で始まった。告別式やら何やらで決断しなければならないことがドンと増えた。ただでさえでも調子が悪いのに。病人にそんな重荷になるような事は止めてくれ。ああ病状が悪化しそうだ。憂鬱な事この上ない。そう言えば頭が重くなってきた。心なしか胸まで苦しくなってきた。そうだもらい物のコーヒーでも飲もうか?いや、胃が痛くならないだろうか?こちとらこそーっと下働きだけで責任のないように生きてきたというのに。そんな人間を表舞台に引きずり出すな。俺はプロジェクトXを見るたびに「まあ好き好んであんな重責を負うなんてよくやるなあ」と思っていたような人間なのに。ああ、気が重い気が重い。

「“のーびす”さん、筒井康隆先生の“心臓に悪い”のパロディ以下ですよこれは」
「あ、やっぱり」

念のため、統合失調症の病状とはあまり関係ありません。

Posted by nobis at 10:19
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2006年01月29日

「その日」は今日だった

親父の「その日」は今日だった。

あっという間の出来事だった。

親父は無に帰した。

親父は人々の記憶になった。

Posted by nobis at 20:37
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